今から9年前、別にこれといって目的もなくタイに行ってみた。海外はそれが2度目。1度目はそれよりさらに10年前にインドをぶらついて以来だ。
タイはその後、また訪れるコトになるのだが、その最初の訪問時、実に不思議な感覚を覚えた。
その感覚とは・・・
「懐かしい・・・」
初めて訪れた国なのに、なぜか妙な懐かしさを感じる。
Pさんは昭和37年生まれ。山口の片田舎で育った。周りは田んぼだらけ。家の前の道は舗装されておらず、街灯なんてものもない。
だから夜道はエラク怖かった!・・・のを憶えている。
町内には一応野菜や魚、肉といった生鮮食料品店があった。
金が無いときは「ツケ!」で済んでいた。
で、いざ買い物すれば、オバちゃんがそれを新聞紙を半分にちぎってくるんでくれる。今考えれば、とてもエコですよ、ハイ。
オヤジのでかいアルミの弁当箱を包むのも、やっぱり新聞紙だったな〜。
ウチだけじゃなくほとんどがそうだった!幼稚園に行って石炭ストーブで弁当暖めて食べるのが旨いんだ!
大概、ごはんの上にカツオ節と海苔がのってて、醤油が足らしてある。
これが温まると、フタ取った瞬間、天国!
おかずは漬物がホトンド。
でもタマに卵焼きも時々混じる。
ウインナーなんて入った日にゃ、もう、ヒーローですよ!
真っ赤なヤツがタコみたいなヤツ。
子供の社交場はもっぱら駄菓子屋。10円にぎってあれこれ悩んだモンだ。
風呂は当然銭湯。時々飲ませてもらえる「リンゴジュース」と「ヨーグルト牛乳?」が嬉しかった。
二股の先にハリがついてる器具で、紙のふたを「ポンッ!」って開けて、ゴクゴク・・・。
銭湯の近くにはJRの踏切があって、小さい頃のPさんは、そこで列車を見るのも楽しみだった。
あれに乗れば知らない街に行けるのか〜って想像が楽しかった。
留守をするときでも家に鍵はかけない。つ〜か、はじめから無い。
風が入ってこないように「窓は」ねじ込み式の鍵をかけるが、玄関はテキトー。
ミソや醤油が足りなくなったら、お隣へ借りに行く。
そのうちいろいろ出始めて、オムライスとスパゲッティと鶏の足を焼いた日はゴチソウ!
カラーテレビが届いたときの感激は、まだ覚えている。
これで近所の「のぼる兄ちゃん」トコに行かないで済むのか〜。
貧しかったが平和だった気がする・・・。
それを感じてしまったんだ、あの国で。
さすがに首都のバンコクはすでに東京とあまり変わらないからそんなこともなかったが、約1ヶ月くらい北タイの田舎をアチコチ徘徊してたら、ちょっとした路地の風景、そんでそこに住んでるタイの人達の雰囲気が、あの頃と同じだった。
チェンマイって街があるんです。
今でもタイの第2の都会。元々は首都だった街だ。
日本で言えば京都っていうより鎌倉ってイメージだろうか?
夜になるとナイト・バザールって屋台街が賑わうのだが、ある日Pさんそこで飲みすぎて、泊まってるロッジまで歩いてるうちに吐いてしまい、めんどくさくなったから、そのまんま路上で寝ることに・・・。
何時間たったのか憶えてないけど、ゆすり起こされた。見知らぬタイの人に。
「そんなトコで寝てると、財布がなくなるぞ!」って。
幸いなことに財布も中身も無事だった。
彼は笑って「よかったな。タイにも悪いヤツはいっぱいいる。気をつけたほうがいいぞ。特に日本人は狙われやすいからな」と言って去っていった。
「月光仮面」にタイで出会えるとは思っていなかった。
チェンマイに定年後の日本人夫婦が多くなってきたという理由もわかる気がする。
Pさんも「いつかここで暮らしたいな」とその時思ったものだ。
首都バンコクに「カオサン通り」ってとこがある。らしい!
実はカオサンには行ったことがないのでよくわからんが、世界中から背中にリュック1つかるって、世界のアチコチをひたすら漂う、2000年くらい前のゲルマン民族みたいな人達の巣窟らしい。
なぜそこに集まるかといえば、安い宿が多いから。
Pさんはインドでサダル・ストリートとかニューデリーのメイン・バザールとかで「安宿」体験してたし、今回のタイでは「リッチな連れ」がいたので、結局カオサンには行ってない。
もっとも知人によると、安宿といえどベッドはインドの100倍きれいで、トイレは1000倍キレイだそうな。
当然、そこに居つく人達も多く、今日のタイトル「日本を捨てた・・・」は、そんな彼らの観察記録兼分析集みたいな本。
この本の作者自身、バリバリの元バックパッカーである。
知人に薦められて読んでみた・・・。
ドラえもんが実在して、どこでもドアがあれば、間違いなく今すぐ行く!